ハンサム判治率いるハードコア絶叫ジャズバンド「ゴリラ人間ズ」とは?

 

ゴリラと人間のDNAは97%一致しとるらしい。

でもゴリラが進化して人間になった訳でもなく、またその逆でもない。

大昔のどこかの時点でゴリラと人間の祖先は袂を分かち、全く別の進化を遂げたのが現代のゴリラと人間なのだ。


それはどこかジャズとロックの関係にも似とる。

 

ポピュラー音楽の歴史はまずブルースからジャズが産まれ一世を風靡し、そのジャズの勢いの陰でいつのまにかロックが産まれ一気に世界を制覇したらしい。


なんて訳の分からんウンチクはもういい。

ゴリラ人間ズで何をやりたいのかをズバリ書く。


ジャズ好きなバンドマンが難しいことを抜きにしてジャズで自由に遊ぶバンド。

ハンサム判治の原始的な唄をジャズスタンダード代わりに使ってメンバーが思うそれぞれのジャズで熱くぶつかり合うバンド。

 

ジャズにありがちな排他的な敷居の高さをぶち壊すバンド。

 

ジャズはモノマネでも何十年も前の流行りをただ再現するだけの音楽じゃない。

 

ジャズはキワドい音と熱い魂をぶつけ合う音楽。

 

圧倒的に感情的で肉感的で自由で狂っとる音楽がジャズ。

そんなジャズバンドがやりたい。


ハンサム判治のゴリラみたいに強く優しい原始的な唄と人間の英知の結晶であるジャズの融合。

だからゴリラ人間ズ。

 



昔からの友人に「判治ってそんなにジャズ好きだっけ?」って言われたけど、ジャズファン以外にはオンザコーナーとかダークメイガスとかが部屋で流れとってもそれがジャズとは思わんでね。

だで「ゴリラ人間ズってジャズなの?」って思う人もおると思うが、これこそがジャズだと思っとる。

 

 

オシャレぶったラーメン屋の心地いいイージーリスニングミュージックなんかジャズじゃない。

 

逆に頭でっかちでジャズ理論やジャズ的常識に縛られた音楽なんかジャズじゃない。

 


ジャズは葛藤と闘いとゆるしの音楽。

 

そしてなによりも自由な音楽。

 

 

だからこそ「ジャズ」という「ジャンル」にあえてこだわり、「ハードコアジャズ」という新ジャンルを掲げた。

 

というか、ジャズは元々がハードコアな音楽なんだで原点回帰とも言えるんかもな。



ロックバンドはいつからかお行儀よく整えられた予定調和なステージを求められるようになった。

でも音楽はもっと自由であって欲しい。

ハンサム兄弟のツアー全盛期は曲順も決めんかったし、メンバー各々の閃きに任せたセッションから曲になだれ込むことが多く、ライブがもっと有機的でスリリングだった。

言わばジャズだったんよ。

 


でも現代のロックバンドのファンは、しっかり構成された作り物のショーを求めがちだ。

それが観たければアイドルのコンサートを観に行けばいい。

バンドアレンジやボーカルラインもCDに忠実な方が好きって人も多いらしいし、インタビューやSNSでも優等生な発言しか喜ばれん傾向もある。

だったら口パクのコンサートを観に行けばいい。


だからこそ今、ジャズをやる。

ジャズは今でもロックより自由だと信じて。


というか、ジャズが何なのか知らん人の方が多い。

ワシも含めて。(笑)

だでジャズは自由なんだと思う。



いい年になってくるとバンドで頻繁に動けんくなる。

それはなぜか?

大人になったメンバーの都合がつきにくくなるから。

だったらメンバーを固定することが逆にレアなジャズバンドをやればいい。

どシンプルだけど逆転の発想。

 

さらにジャズはコード譜を共有するだけで事前のリハなしでステージに立つことも少なくない。

 

つまり、全国のジャズマン達と繋がりができれば旅先でゴリラ人間ズのライブがやれるってことか!?

 

目指せ!ゴリラ人間ズ全国チェーン展開!(笑)

 

もちろんゴリラ人間ズはメンバーは固定じゃなく常にメンバー募集中だ。

 

これを読んでくれたジャズマンよ、ワシとジャズを解放するためのリングに上がってくれ。

 

君が思う熱いジャズを自由にぶちかましてくれ!



ゴリラ人間ズは凝り固まったジャズをぶち壊し生まれ変わらせるためのジャズバンドだ。

ジャズはもっと圧倒的に自由で熱く楽しい怒涛のエンターテインメントなんよ。

それをゴリラ人間ズで証明する。

我ながら画期的なバンドスタイルだと思う。(笑)

 

 

2018年3月吉日
ゴリラ人間ズ主宰 ハンサム判治